みがくも休みでネタも無いので、今日はダンナとのなれそめを少し。
みがくを立ち上げた当初、まだ生徒が少なかったので塾や予備校の講師として空いた時間に勤務しようと思いつきました。
スーパーから持ってきたタウンページを開き、講師の求人を探していると、憧れだった某予備校で古典講師を募集していたのです。
私はすぐに電話をかけて面接、試験をして頂くことにしました。
その時の面接官がダンナです。
電話での印象として強く残ったのは、口調が丁寧で親切だったこと。
「それでは、気をつけていらしてくださいね」
その面接官は電話を切る際にそう言いました。
同じ札幌市内に、しかもたかだか面接に来る人間に対して「気をつけていらしてください」。
大袈裟な物言いだなぁと思う反面、とても好意的な印象を持ちました。
そして面接当日。
数十数年ぶりの面接に私としては珍しく緊張しながら予備校のドアを開けます。受付で名乗ると職員室の奥から姿を現したのが面接官である彼でした。
出迎えてくれたその笑顔のおかげで、リラックスして臨むことができたのを覚えています。
競争率の高かった面接にも無事合格し、週に一度その予備校で勤務することが決まったのですが、その直後に母が急逝しました。
初出勤の日に通夜がぶつかり、その後も初七日やらなにやらでしばらく仕事に行けそうにありません。電話をしてその件を伝えました。
すぐに動ける講師が欲しかったそうなので、折角いただいた話だけど諦めるしかないだろう、そう思っていました。
ところが、翌日彼から携帯にメールが届いたのです。
労いや励ましの文章が綴られており、落ち着くまでいつまでも待っているから、という言葉でそのメールは締めくくられていました。
母を失った悲しみに沈み、失意の底にいたあの時の私にとって、すーっと心に染み入りました。
あの当時は沢山の方々に慰めて頂きましたが、なぜか彼の綴る言葉たちが最も私の傷を癒してくれたのです。まだほとんど面識のない人のメールなのに不思議ですよね。
出勤し始めたその後も、授業のサポートを親切にしてくれ、優しい先生という印象はますます強くなっていきました。
出会いから約9ヶ月後に初めて食事に行き(これは確か私から誘ったのかな?)、その1ヶ月半後にプロポーズを受けて即婚約。さらに4ヶ月後にひかりを妊娠し、翌月に入籍した…という次第です。
思い返せば、最初の電話…「気をつけていらしてくださいね」に心を持っていかれたのかもしれないな(笑)。
普通の人以上に「言葉」に敏感で、重視する私ならではの感受性だったのかもね。