「はれ、ときどきぶた」
1980年の発行から現在まで、読み継がれている不朽の名作です。主人公の則安くんが書くデタラメの未来日記が現実のものになるというストーリーなのですが、その破茶滅茶なところが子どもたちに大ウケしているのです。
私も小学生の時に何度も何度も読みました。
筆者の矢玉四郎先生はあとがきでこんなことをおっしゃっています。引用しますね。
則安君は、あしたの日記を書くために、でたらめなことをいろいろ考えた。「ばかなことばっかり考えて」と思った人もいるかもしれない。でも、ばかなことを考えるのは、あんがいむつかしいことなんだ。それに、ばかなことを百くらい考えていると、そのうちひとつくらいは、すばらしいことを考えだせるだろう。
電球を発明した人だって、はじめて飛行機をとばした人だって、ヨットで太平洋をわたった人だって、みんなはじめは「ばかなことをいって」と笑われたんだ。なにかを決めるときに、手をあげて多数決というのをやるだろう。これは便利な方法だけど、ときにはよくないこともある。多くの人はまちがっていて、ひとりだけ正しかったということもよくあることだ。だから自分の感じたこと、考えたことはちゃんと言えるようにならなくちゃいけない。ばかなことをはっきりいえなくちゃいけないんだ。人に笑われても、おこられてもいいんだ。
学校では教科書をおぼえればいいかもしれないが、遊びには教科書はない。自分で新しい遊びかたをつくらなきゃおもしろくない。それと同じで、おとなになったら自分の教科書は自分でつくらなくちゃいけないんだ。だから、いまのうちから、いろんなことを考えることのできる頭をつくっておくことだ。
きみもあしたの日記を書いてみよう。
遊びに教科書はない。
その通りですね。私が子どもの頃はどんな場所でも遊び場になったし、どんなものを使っても遊ぶことができました。例えば、道にテニスボールが落ちていたら、そのボール1つで夕方まで遊べたものでした。本来、子どもは誰しも遊びの名人なのです。しかし、今はその環境が整っていないことが多いのではないかと感じます。習い事や塾などで忙しい子が増え、遊びの時間が取れない(取れても常にゲームのみとか…)という問題も。
創意工夫ができる力や発想力、考える力を子どもの頃から鍛え育てていく。矢玉先生のご意見に全くもって賛成です。それらはみがくで伸ばしていきたい力であり、実際に教材に取り入れているトレーニングでもあります。