ゆいちゃん(仮名)は、ADHD…いわゆる注意欠陥・多動性障害を持つ生徒でした。
彼女と出会ったのは、ゆいちゃんが小学4年生の時。
目鼻立ちのはっきりとした可愛らしい女の子、というのが最初の印象です。
ゆいちゃんは、席を立ったり他の人に迷惑を掛けたり…ということは全くない生徒でした。
ただ、問題を解いていても手が何度も止まるので、なかなか学習は進みません。
彼女は「話の要点を聴き取る力」がすこぶる弱い傾向にありました。
そのため、演習しなければいけない箇所を間違えたり、問題の意図を読み取れなかったり…。
それも彼女の課題点の1つでした。
学習中、ぼーっとしているゆいちゃんに、
「どう?…わからないところはある?」
そう声を掛けると、恥ずかしそうに首を横に振って、また問題を解き始めます。
そして、3分も経たないうちにまた鉛筆がぴたっと止まる。
その繰り返しです。
ある日のこと。
その日も相変わらず、ゆいちゃんは演習中ぼーっとしています。
よく見ると口元に薄っすらと笑みを浮かべています。
きっと空想の世界にどっぷりと入り込んでいるのでしょう(笑)。
私はゆいちゃんの隣の席に座って聞いてみました。
「なんか楽しそうだね。どんなことを考えてたの?」
叱られると思ったのでしょうか?
ゆいちゃんは、慌ててまた問題のプリントに目を向けました。
私はその時、衝動的に思いました。
ゆいちゃんの頭の中を覗きたい!
この子は何を考え、何を感じているのだろう?
ゆいちゃんという人間に対する関心と、指導の突破口を見つけるヒントを見つけるためと、単なる好奇心と(笑)。
様々な理由からそう感じました。
「今日はお勉強はやめようか。先生、ゆいちゃんのお話が聞きたいな」
私の言葉に一瞬驚いたような顔をしたあと、ゆいちゃんは嬉しそうにニッコリ笑って頷きました。
「今何を考えてたの?ゆいちゃん、笑っていたでしょ?」
「うん。あのね…昨日ね…お母さんがね……台所にいる時ね…(省略)」
「それでね、あのね…、うみくん(弟)がね……(省略)」
「…ゆいもね…、んと…、え~と…学校に行ったらね……(省略)」
出るわ、出るわ!
ゆいちゃんの口からはたくさんの言葉が洪水のように溢れてきました。
私はその間、「うん、うん」とあいづちを打ちながら黙って聴いていました。
人は少なからず、悩みや不安や不満やストレスを抱えています。
これらが「水」だとして、「心の器」いっぱいにその水が入っている状態をイメージしてください。
心の器いっぱいに水が入っていると、心に余裕が持てません。
人の話に真剣に耳を傾け、教えを自分の中に取り込むこともできません。
心の器がすでにいっぱいだからです。
つまり、溢れるほどのマイナス心情を抱え込んでいる人に「何かを学んでもらおう」と考えても、無駄に近いということです。
まずはその器の水を捨てなければ、新たな水は入りません。
どうやったらその水が捨てられるのか?
その方法のひとつは「傾聴すること」です。
人は話を聴いてもらいたいという、本能に近い欲求があります。
人に話を聴いてもらうことで、心の器いっぱいに入った水…悩みや不満・愚痴など…を軽くすることができるのです。
心の器が軽くなったら、心に余裕が出てきます。
自分の話を聴いてくれた(=自分を受け入れてくれた)目の前のこの人の話も聴こうかな。
自然とそんな気持ちになるものです。
誰かに何かを伝えようとする時には少し考えてみてください。
その相手の心の器の水はどれくらい入っているでしょうか?
水がいっぱいの人は、いつも落ち着きがなく、イライラしています。
すぐに感情的になって、こちらの意見に耳を貸さない傾向にあります。
そんな相手にいきなり意見や注意をしても、きっと聴き入れてもらえません。
まずは、相手に話をさせることです。
あなたはただただ聴き役に徹して、うんうんと頷きながら話を聴きましょう。
この時は決して反論してはいけません。
その話がたとえ真実ではなく、相手の偏見や固定観念に拠るものだとしても、
その話がたとえ賛同できないものだったとしても、
ただただ聴いて欲しいのです。
「内容に賛同」しながら聴くのではなく、「相手がそう感じているのだという事実に賛同」しながら聴くのがポイントです。
学校のこと。
お友だちのこと。
家族のこと。
楽しい話をひと通りした後、こんなことを言い始めました。
「…ゆいね、逆上がりがね出来ないの…」
「…お母さんは私よりも海のほうが可愛いと思っているんだ…」
私が傾聴しているうちに、ついつい本音がポロっと出てしまったのでしょう。
ゆいちゃんの心の器も、どうやら水でいっぱいだったようです。
ゆいちゃんは30分近く、夢中で話をしてくれました。
話題が一環せず、あっちに行ったりこっちに行ったりはしましたが(笑)。
話が途切れた時、今度は私がゆいちゃんに話を始めました。
「先生は素直で優しいゆいちゃんが大好きだよ。…でも、ここを直したらもっと良くなるところがあるんだけど、聴いてくれる?」
ゆいちゃんはこくりと頷きます。
「先生とか、家族とか、お友達とか…これから人とお話をする時には、その人の顔をしっかり見ながら話を聴こうか」
人の顔を見て話を聴けない。
ゆいちゃんに限らず発達障害児の多くがその傾向にあります。
障害のある無しに関わらず、「人の話を聴く時に相手のほうを見ない人は、しっかり見る人よりも聴き取り能力が弱い」というデータがあります。
逆に考えると、「話している人の顔を見ながら話を聴く姿勢を身に付けること」が、傾聴のための有効な手段の1つなのです。
その日から、ゆいちゃんと顔を見ながら話を聴く訓練を繰り返しました。
話している間中、指で自分の頬のあたりをトントンとたたいて、顔にゆいちゃんの注目を集めることから始めます。
辛抱強い訓練の甲斐があってか、5年生にあがる時には人の顔を見て話が聴けるようになったゆいちゃん。
それと比例するかのように、聴き逃しや聴き違いがぐんと少なくなりました。
…あれから、8年もの時が流れました。
ゆいちゃんが高校を卒業する年の冬のことです。
郊外のスーパーで偶然にも彼女と再会しました。
「坂本先生!」
そう声を掛けられても、正直誰かわかりません。
必死で思い出そうと考えていると、
「私、ゆいです。」
そう言って、自分の頬に指をトントン。
彼女は塾を中学1年生の秋にやめてから、その後、私立の高校に進学。
卒業後は父親の関連会社で事務の仕事をするとのことでした。
8年ぶりに会った彼女はますますキレイになっていました。
薄っすら化粧もしています。
「塾の記憶はほとんどありませんが、坂本先生のことだけははっきり覚えていたんです。あの時は本当にありがとうございました。先生は元気でいらっしゃいましたか?」
そう話しながら大きな瞳でしっかりと私を見つめるゆいちゃん。
言葉運びや表情がすっかり大人びていています。
思わず目を逸らしたくなるほど(笑)、彼女の成長を眩しく感じました。