高校生の時。
全校集会の最中、貧血で倒れたことがあった。ふらふらっと美しく倒れたのならまだ良い。
でも私は倒れる時、
「えっ?ええ~っ?!」という意味不明な奇声をあげて倒れたらしい。
…あまりに恥ずかし過ぎて、なかなか忘れられない記憶である。
今まで人並みに恋愛もしてきた。
楽しい恋も、苦しい恋も。
別れるたびに
「彼とのことはきっと一生忘れられないんだろうな」
と思うのだが、現実は案外そうでもない。
新たな恋愛をするたび思い出が「上書き」されていくような感じがする。
手酷い失恋の痛みさえも、かすかに古い傷跡が残る程度だ。
2年前、母が他界した。
当時は悲しくて苦しくて…何も考えられなかった。母との思い出が次から次へと溢れ出し、泣いてばかりの毎日だった。
だけど今は。
母を失った哀しみは消え去ってはいない。でも思い出して涙を流すことは格段に減った。
…母にもらったこの命。
大切に、幸せに生きよう。
前向きな気持ちで日々過ごせるようになった。
予備校講師になりたての頃。
生徒の1人に
「坂本先生がキライだから、担任を代えてほしい」と言われたことがあった。直接聞いたわけでないので詳しい事情は結局わからずじまいだったが、当時かなりショックを受けた。
とことん落ち込んだ後、
…もっと頼りにされる講師になろう。
スキルをどこまでも磨こう。
そう心に誓った。
悔しさを飛躍へのステップとして、がむしゃらに努力してきた。
その時のキモチを今も忘れてはいない。
人間は「忘れる」生き物である。
永遠につらいことばかり覚えていたら、苦しくて歩いていけない。
忘れることは前向きな行為でもあるのだ。
一方で、
どんなに忘れたくても忘れられないことがある。
決して忘れてはいけないこともある。
「忘れる」という感情は実に奥が深い。
余談だが、
出産後、お見舞いに来てくれた生徒のお母さんと話したときのこと。
陣痛の凄まじさや、つわりの苦しさについてお互いに体験談を語り合った。
「よく3人もお子さんを産みましたね~!あの辛さを忘れてしまったんですか?」
と聞く私に、そのお母さんはこう答えた。
「毎回忘れてしまうんですね(笑)」
う~ん。
やっぱり深い!!