今朝の9時頃、通っている小学校から電話がありました。担任の先生が、私と娘にそれぞれ今の状況などを聞き取りする形です。
1年生の時の担任の先生が退職してしまい、私も娘もショックを受けました。明るくてとても頼りになる先生だっただけに、お礼も言えずにお別れすることになり、本当に残念でした。でも、今年の担任の先生も優しくて面白い先生のようで、娘も喜んでいます。
学校の先生との出会いは人生の中でとても大きな意味を持つものです。私の国語好きも、小学4年生の担任の先生に、自分でも気づかなかったことを沢山褒めてもらったことがきっかけでした。逆もまた然り。私が算数嫌いになったのは小学1年生の時の出来事が尾を引いています。あれは忘れもしない算数の時間。2+3=5の計算で、担任の先生は黒板にこんな絵を書きました。
🍎🍎+🍊🍊🍊=5こ
合わせると確かに数は5個です。しかし、1年生の私は疑問に思いました。「りんごとミカンを合わせても、りんご2個、みかん3個のままじゃないのかな??」と。全体の個数は5個ですが、私にはりんごとみかんを合わせる意味がピンとこなかった…というか、「わかるけれどもわからない」状態だったのです。そこで、私は手を挙げて担任の先生に聞きました。当時は表現力が乏しくて上手く説明できなかったのですが、「りんごとみかんを合わせても5にならないのでは?」的なことを言ったと記憶しています。
すると先生はみるみる顔を紅潮させ、私にこう言いました。
「2+3は5だ。ごちゃごちゃ余計なことを考えていないで覚えればいいんだ!」
大勢の前で注意された記憶というのはなかなか消えません。ましてや、まだ小学1年生。先生に言われたのだから、正しいのだろうと思うのが自然です。私は自分の質問を恥じました。そして、かなり長い間、算数に関しては、言葉通り、余計なことを考えずに習った公式を覚えるという姿勢に徹したのでした。
数学が苦手になったことを全てその先生のせいにするつもりは毛頭ありません。むしろ私のほうに問題があったのだと思っています。ただし、これだけは確実に言えます。その先生の一言で、私は算数が大嫌いになりました。
2a+3b=5ではない。そう伝えたかったのだとわかるのは、もっとずっと後になってからです。もしも、先生が黒板に書いた絵がりんごだけ、みかんだけだったら混乱しなかったのかもしれませんね。
私が生徒に指導する際、「考えさせる」ことを特に大切にするようになったのは、この出来事にも起因しています。本来、考えることは楽しいことです。子どもがクイズ遊びに夢中で興じることからも分かります。人から与えられるだけではなく、自らの頭で考え、答えを出せる人間になれるように願いながら、いつもみがくの教材を作成しています。どんなに時間がかかっても、脳に「汗をかいて」考え抜く力は大きな財産になるからです。
繰り返しになりますが、先生との出会いは良きにつけ悪しきにつけ、人生に大きな影響を与えることがあります。私自身もそれを肝に銘じていつも指導にあたっています。