今は亡き私の母は、父とよく夫婦喧嘩をしていました。
よくもまぁ、飽きずにケンカできるな~と思うくらい(笑)。
例えばこんな具合に。
父:「来週の水曜日、パークゴルフの大会があるから火曜までに新しい靴下を買っておいてくれ。」
母:(会話の最中、何やら引き出しの中をごそごそ。何か探しものをしているらしい)「…うん、わかった」
父:「これから俺、○○さんの家に大会の打ち合わせに行ってくるから。その間、もし△△さんから電話あったら、20時過ぎに電話するって言っておいて。」
母:「わかった。…それで、大会っていつあるの?」
父:「…だから、来週の水曜日だって!今言ったばかりだろ。聞いてなかったのか?(イライラ)」
母:「あれ?…言ってたっけ??聞いてなかった…」
…喧嘩と言っても、このように母が父の話をよく聞いていなくて、父に「おまえは本当に人の言ったことを聞いていないな」と文句を言われることが大半でした
例に出した両親の会話の例でいうと、母は探し物をしながら父の話を聞いていました。
このように、何か別のことに心を占めながら聞いたり、別の作業をしながら聞いたりすると、正確に相手の話が聞き取りにくいものです。
逆に言うと、「今から話を聞きますよ」という体勢(相手のほうに体を向けて、しっかり目を見る…など)をとると、脳が「聞きモード」になります。「集中して聞こう」というスイッチが入ります。
形から入ることも必要なことなんですね。
style=”FONT-FAMILY: "MS ゴシック"”>それに、「ながら聞き」は話し手に対して失礼です。
次は、「話し手」としての意見です。
私は長年、教育に携わってきたのですが、そこで得た教訓の1つに、
「大体の人は一度では聞き取れないものだ。大事なこと・本当に伝えたいことは繰り返し話せ」というものがあります。
仕事でも、家庭でも、何か大事なことを伝えようとする時、話し手は、
「大事なことだから、言葉を惜しまずに何度でも話そう」と余裕のある広い心で構える。または本当に重要なことなら、メモなどに書いて相手に渡してあげるなどの配慮があっても良いでしょう。
「相手が自分に対して話しかけている。集中して聞くために…そして失礼のないように、しっかりと聞く体勢をとろう」という聞き手の姿勢。
「話を正確に聞き取るのは実は難しいことだ。だから何度でも伝えよう。…これで相手に伝わるだろうか?」という話し手の姿勢。
いずれにせよ、根底には「お互いへの配慮」が必要なんだと思います。
「聴くこと」と「話すこと」に代表されるコミュニケーションの根底にあるべきものは「愛情」です。