母が亡くなる数週間前、不思議な体験をした。
ある休日の夕方。
お風呂上がりの私は少々のぼせ気味で、居間のソファーに横になっていた。
母が持ってきてくれたコップ1杯の水を飲み干す。
しばらくそのままソファーで目を閉じていると、窓から初夏の風が入ってきた。
とっても気持ちの良い風。
台所では母が夕飯の支度を始めている。
外からは父が近所の人と陽気に話している声が聞こえる。
足元にはゆ~が丸くなって寝息を立てている。
その時、心の底から思った。
幸せだな。
そう感じると同時に、なぜか涙がツーっと流れてきた。
次から次から溢れてきて止まらない。
幸福感で人は本当に泣けるんだなと思った。
ささやかな日常の1コマ。
もしかしたら、それこそが究極の「幸せ」なのかもなと思った。
それからまもなくして、母が永眠。
1年経った今でも、あの夕方の幸福感を思い出す。
お金持ちになるとか、
仕事で大成功するとか、
豪華な買い物をしたり、旅行をしたり…。
そういうのも確かに良いけれど、
「幸せだなぁ」って痛感する瞬間って、もっと単純で平凡な日常の1コマだったりする。
例えば、
お風呂上りにビールをゴクゴク飲んでいる時。
安心しきって眠っている我が子の横顔を見つめている時。
暑い日に、スイカを家族みんなで「おいしいね」って食べている時。
大好きな人が隣で笑っている時。
ベッドに入りながら、眠くなるまで本を読んでいる時。
丹精こめて育てた庭の花が咲いた時。
ペットと遊んでいる時。
特別なことは何もない、ごくごくありふれた場面。
でもそんな場面こそ、心が満ちる幸せの瞬間だったりする。
「言葉」も同じ。
飾り立てた言葉より、シンプルで平凡な言葉が心にすっと響くものだ。
おはよう。
おやすみ。
ありがとう。
ごめんなさい。
ありふれた平凡なシーンや言葉を1つ1つ大切に生きていくこと。
きっとそれが「幸せ」へと続くステップなんだろうな。