今日の本校で、現代文の読解問題(大学入試)を教えていて改めて思いました。「設問文」を軽視しがちな生徒が多いな、と。本人たちは「軽視しているつもりはない」と言うかもしれませんが、私からすれば、まだまだ意識が薄いと言わざるを得ません。
問題文は大切ですが、それ以上に「設問文」を読み込む必要があります。作成者が何を意図して、どんな解答を書いて欲しいのか。設問文のポイントにも線を引きながら、それをしっかり読み取らなければ正解に辿り着けません。
私は以前、仕事として、国語の受験問題集の設問を作成していたことがあります。星の数ほどある書物の中から問題文を選定し、傍線を施しながら設問を作っていくのですが、あらゆることに細かく規定や制限が入ります。例えば選択肢の文章。「①~⑤の中から選びなさい」といった問題ですが、この選択肢の中の文章を作成する際にも字数制限があります。限られた文字数の中で、「いかに解答者の誤答を誘うか(ひっかけるか)」を考えながら、設問文を作るわけです。まずは正解となる文章を書き、それを基にして誤答を作ります。字数が多すぎたら削り、短かったら足したりしながら作成していくのですが、無駄な言葉は何一つ使えません。字数制限がある中で、「適当」や「偶然」に入れられた言葉や表現はないのです。全てはある意図や規則性をもって作られています。択を横に見て、その中の同一表現や反意表現に目をつけたりするのも、作成者の意図を汲んで正解を見抜くためです。
そこまで考えて設問にあたれば、自ずと正解が見えてきます。ここまで到達するためには質の良い学習と継続した演習が不可欠です。
「テストで点数を取るための技術」は、国語というより「情報処理力」によるものが大きいと思っているので、この読解テクニックを重視した指導は本意ではありません。なので、長くみがくに通ってくれている生徒…国語力の基礎が身に付いている子にだけ指導するようにしています。