塾長ブログ

小さな罪。

それは私が小学4年生だった時のこと。


学校の国語の授業で宿題が出た。

「詩」を1人2つ、期限までに作るというものだった。


私は当時、すでに国語が得意だった。

授業中はよく褒められていて、担任の先生にも認められているという自負もあった。

特に作文は大体、教室後ろの掲示板に花丸合格付きで貼り出されていたものだ。


「詩」の授業の初回も、授業中に作った詩を先生は大袈裟なくらいに褒めてくれた。

「こんな感じで書いてくださいね」と、私の詩をクラスのみんなの前で読み上げた。


家に帰り、宿題をやろうと机に向かう。

詩を2つ。


1つは確かカラス…か何かを題材にして、すんなりと書けた。

さて2つ目。


…ところがなぜか、この2つ目の詩がなかなか出来ない。

題材も言葉も全く閃かないのだ。

提出は明日。

だんだん焦ってきた。


私は国語が得意な生徒としてクラスでは認識されている。

先生も期待してくれている。

ここで良い詩を作らないと、みんなにガッカリされてしまう…。


ところが焦っても焦っても、何も浮ばない。

何かヒントはないかと、辞典に手を伸ばす。

確か「エリア」という名前の辞典だった。

各教科のポイントが書いてある分厚い本で、暇つぶしに当時よく読んでいた。

それをパラパラめくると、「詩の書き方」というページが。

例として詩がたくさん書かれている。


その中のひとつに目が留まった。

うろ覚えだが、確かこんな感じの詩だった。


「しゃぼん玉」

妹としゃぼん玉をした

虹色のボールがふわふわと

青空に飛んでいく


しゃぼん玉を通して見ると

妹の顔も虹色に見える


しゃぼん玉の形がゆがむと

妹の顔もゆがむ


見ていたら

そのうちパチンと消えてなくなった


代わりにそこには 妹の笑顔があった


…ふと、ズルイ考えが浮ぶ。

『この詩を丸々うつしてしまおうか。きっと先生やクラスの人たちにはバレないだろう』

『私にも妹がいるし、この詩を書いて持って行っても不思議ではない』

そして私は遂に、この「しゃぼん玉」を提出用の作文用紙に書き写したのだった。


翌日。

作った詩を提出する時がきた。

一晩寝て、冷静に考えたら、人の書いた詩を丸々写して出すことに罪悪感を覚え始めた。

それで、提出する直前、詩の最後の行にこう付け足した。

『私は少し安心した』


当時としても、我ながら下手な1文だと思った。

文字通り、取って付けたような文だと。

でも、もう他に考える時間がない。

私はそれを提出した。


翌々日の国語の時間。

授業開始早々、先生は言う。

「出してもらった詩で、先生が上手だったと思う詩をプリントに印刷しておきました」


配られたプリントに、ドキドキしながら目を通す。

5編くらいの詩がそこには書かれていて、そこに私の詩もあった。

しかも、自作ではなく盗作した「しゃぼん玉」の詩だ!


まぁね…、辞典に載るような詩だからね。

そう思いながら、先生の講評を読む。

そこには、こんな感じのことが書いてあった。

「とても良い詩ですね。さすが坂本さん!特に、最後の1文が先生は好きです。」と。


そのコメントに私は軽く衝撃を受ける。

『えっ?!本に載っていた部分ではなくて??単なる苦し紛れに書き足した最後の1文…。それを先生は好きだと言っているの?』


当時は、先生や周りの生徒に盗作がバレなくて良かったとホッとした。

でも、今はこうも思う。

先生は盗作だと知っていたのかもしれない。

所詮、子どもの浅知恵。先生は簡単に見抜いていたのではないか?


とにもかくにも、その時から「人の文章を真似する」ということを私は一切しなくなった。

先生は自分が書いた最後の1文を褒めてくれた。

好きだと言ってくれた。


どんなに稚拙な表現だとしても、

自分の頭で考え、自分の心で感じたことにこそ価値がある。

それを子どもながら体感したからだ。


その後、私はますます国語という教科が得意になった。

そして、文章を書くことが好きになった。


小4の私が犯した小さな罪。

今考えると、それは自分にとって大きな転機となった。

あの時、先生があの講評を書いてくれたこと。

それが、現在の私へと続く道への分岐点だったのかもしれない。


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