一昨日のブログでも書きましたが、現在休養中です。
思い起こせば、国語専門塾みがくを立ち上げたその日から、今まで全速力で走って来ました。
母が急逝した時も、初七日が過ぎたらすぐ仕事復帰しました(ショックで難聴になったっけ)。
娘を出産した時も、産む3日前まで教室で指導し、1ヶ月を待たずして仕事に戻りました。
あれよあれよと言う間に生徒数が増え、教室が増え、やりがいと同時に仕事も責任もどんどん増えていきました。
そんな私ですが、病欠以外で仕事を休むのは開校以来今回が初めてです。だから決断するまでに随分と勇気が要りましたよ。だけど今回は不思議なぐらいに、「今、休まないといけない」という思いが心を占めたのです。
朝、娘を登園させた後は、何もせずにベッドに横になります。好きな文庫本をのんびりと読んだり、好きな音楽を聴いたり。
するとね、何故だか無性に涙が出るのですよ。ぽろぽろ ぽろぽろと涙が出ます。
これと言った大きな理由はありません。
どうやら心が泣きたがっていたようなのです。
先日、奈良県の玉置神社へ行った時にも参道の途中で苦しくなりました。胸に何かがつかえているような、頭に靄がかかっているような、そんな苦しさです。
今こうして一人になって、じっと自分と向き合ってみると、それらが少しずつ解消されていく気がしています。涙とともに気持ちが徐々にすっきりするみたいに。きっと今回のモヤモヤは「焦り」です。4月からの新年度でも満席が続き、嬉しい悲鳴をあげています。同時に、増えた生徒分の重責。未だ入塾させられない生徒がいることへの焦りなどが、胸に混沌と渦巻いていたのでしょう。
私は仕切り屋の猪突猛進タイプ。反面、深く考えすぎる面があり、周りのマイナスの気に引っ張られるところがあります。それが原因で心療内科に通った時期もありました。そんな私ですが、みがくを立ち上げたことや、超ポジティブなダンナと出会ったこと。そして、元気で周りを明るくする娘を授かったことで、大きく変わりました。
私の悩み、悲しみ、怒り。全て二人が流し、包み込んでくれるのです。私の強みである堅固な意志とバイタリティが薄暗い炎で焼き尽くされぬよう、二人に守ってもらっている気がします。
娘の名前はひかり。私の名前(明美)とダンナの名前(学)を繋げて読み、明るい美学(みがく)の光(ひかり)。
そう読ませようと命名しました。
その名の通り、ストイックに独走しがちな私の手を隣で握り、明るい光で包んでくれている二人には心の底から感謝しています。
苦しみや痛みは自分を成長させる糧。
試練は再生のチャンスです。
人間力が問われるのは転んでから。
苦しい、辛いと言ってそこから逃げ出すのか、転んだことに意義を見いだして、更なる大きな自分になるのか。
イチローの言葉として有名なものに、
「壁というのは超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから壁がある時はチャンスだと思っている。」というものがあります。
私も同感です。壁を前にしてからが勝負だと思っています。どうやって越えるかをとことん考え、行動する。努力して乗り越えた先には…きっとまた新たな壁が立ちはだかるのでしょう。乗り越える度に成長し強く優しくなっていく。その繰り返しが人生なのだと思います。
さて、私も心に任せて泣くだけ泣いたら、次のステップへ向けて歩き出すことにしましょうか。娘や生徒たちのためにやってあげたいこと、教え伝えたいことが私には山ほどあるのだから。