塾長ブログ

藤原定家が見た赤い空。

平安後期から鎌倉初期に活躍した歌人・藤原定家。百人一首の撰者であり、自らの歌もその中に収録されています。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

訳)松帆の夕凪の時に焼いている藻塩のように、待っても来ないあの人を私は恋い焦がれています。

定家は当時、名の知れた歌人であり、勅撰和歌集(天皇に命じられて作られた歌集)の編纂にも携わりました。また、土佐日記や源氏物語の写本作成にも大いに貢献した人物でもあります。

定家は筆マメな面もあり、日記も書いていました。1180~1235年の間の出来事を綴ったものが「名月記」という書物として現存しています。

この「名月記」。1204年2月21日の記録にこんな文面があります。

秉燭以後、北并艮方有赤気、其根ハ如月出方……如此白光、赤光相交、奇而尚可奇、可恐々々

訳)日が暮れた頃、北~東北の方向の空に『赤気(せっき:空が赤く染まる現象)』が出た。………白い光と赤い光が混ざりあっていて、不思議でそして大変恐ろしい

ここに記載されている『赤気』ですが、国立極地研究所や国文学研究資料館などの研究チームが調査したところ、なんと「オーロラ」の可能性が極めて高いことが判明したそうですよ。

えっ?日本の京都でオーロラが??と思いますよね。ところが、日記が書かれた頃(1200年)の地球の様子を科学的に推定したところ、日本列島付近はオーロラが発生しやすい場所だったそうです。➡定家が見たオーロラ裏付け

私も「名月記」を読みましたが、『赤気』の正体について長年疑問でした。山火事にしては「白い光」はおかしいし、彗星だとすると今度は赤というのがよくわかりません。まさかオーロラだとは!

当時の人々にとって赤気は不吉なことが起こる前兆で、恐ろしいものと考えられていたようですが、現代に生きる私からしてみると、何とも幻想的でロマンチックに感じます。

空いっぱいの赤。そこに白い光が溶け込む。約813年前に定家が見たのはこんな感じのオーロラだったのかな?


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