「ない」ことを嘆くより、「ある」ものに目を向け、感謝できる人は幸福である。
…私がそんな風に考えられるようになったのは小学3年生のとき。同じ小学校に通っていたMくんがそれを教えてくれました。
Mくんは学力に発達支障のある子でした。でも、Mくんはいつも楽しそうにしています。
例えば、指をつかいながら計算が出来たとき。歩くスキーで手と足がバラバラにならずに滑れたとき。同級生に登校途中でばったり会ったとき。顔をくしゃっとさせてそれは嬉しそうに笑うのです。私はその笑顔が好きでした。
冬の日のこと。下校帰りに雪原で仁王立ちになり、空を見上げているMくんを見かけました。何をしているの?と聞くと、Mくんは言いました。
「もうすぐ雪が降ってくるから待ってるの。」
へぇーっと、私もその場で雪を踏み固めながら待っていると、程なくして本当に雪が降ってきたのです。大きく空を仰いで、ふわりふわりと踊るように空から舞い降りてくる雪を見つめている私に、Mくんはたどたどしく言いました。
「さかもとさん、雪、きれいだね。さかもとさん、どうも ありがとう。」
Mくんには、私に見えないものが見えている。
私には感じられないものを感じる力がある。当たり前に思えることにも喜び、些細なことにもありがとうと言える。
Mくんは難しい勉強ができないし、言いたいことを上手く伝える力はないけれど、そんなこと以上に「できること」「わかること」で溢れている人なんだ。
その時、Mくんは私よりもはるかに幸せな人だと思いました。この日の感動と感銘は今でもこの胸に在ります。
教える仕事に就いてから25年以上が過ぎました。みがくにもいろいろな生徒がいます。
出来ないこと、苦手なことはその子によって異なります。不得手な部分は目につきやすいものですが、それはその子の性質のほんの一部分。
陰の部分にばかり目を向けず、得意なことや出来ることに光を当て、それを誉めて伸ばしていく。もちろん、苦手な部分に蓋をするわけではありません。その子が辛くても苦しくても教えなくてはならないこともあるでしょう。
叱咤激励しながら寄り添い、その子の持つ「できること(光)」に敬意を払い、存在自体をまるごと愛していこう。
そう自然と感じられる自分になれたのは、誰でもないMくんのお蔭です。