半年前他界した私の母は、奇妙な擬態語をよく使っていました。
今日はそのエピソードをご紹介します。
例えば、炊き上がったお米が軟らかかった時にはいつも、
「今日のごはん、めためただわぁ」と言っていました。
幼い頃からずっと、母がそう言っているのを聞いていたので、間違えているなんて疑いもしません。
私も日常会話で普通に、「このおにぎり、めためたじゃない?」なんて使っていました(笑)。
まだまだあります。
寝ぐせなどがついて髪の毛が乱れている状態のことを、母は「髪の毛がボシャボシャだ」と表現していました。
ボシャボシャって…。
「ボサボサ」の幼児言葉バージョン?
…はい。当然、私も同じように使っていましたとも
中学生の頃、学校の教室で「わたし、今日の髪ボシャボシャじゃない?」とかね。
私は当時から国語が得意でした。
なので、友達も「まさか、あっけが言葉の使い方を間違えるわけがない。だって、こんなに堂々と連発してるし…」
と思ったのでしょう。彼らもこの言葉を日常会話で使い始めました。
クラスにちょっとした「ボシャボシャ旋風」が巻き起こったのです。
そんな私ですが、高校になってから、
「ん?これらは里塚(私の住んでいる地区名)ローカルの言葉なのか?」と疑い始め、
社会人になってからようやく、
「これらの擬態語は坂本家オリジナルなのだ」と気付きました(遅っ!)。
母の死後、父もこんなエピソードを話してくれました。
「昔、母さんと出掛けた時、喧嘩になったんだ。頭にきて父さん、母さんから離れて歩いてたんだよ。そしたら母さん大きな声で、
『ちょっと、お父さん!!そんなにスタトン、スタトン歩かないでよっ!!』
…歩いている人はみんな振り返って見てるし、父さん恥ずかしかったなぁ…」
…スタスタ歩くの「スタスタ」と、物事をトントン進めるの「トントン」が合わさったのでしょうね。
雰囲気だけはね…まぁ伝わるわ(笑)。
そんなこんなで。
親の言葉づかいや言い回しは、子供にも影響を与えます。
なるべく美しい日本語を使いたいものです