私が小学2年生の時でした。
今でも忘れられない…棘のように心に深く突き刺さっている出来事があります。
学校からの帰り道。
青い三角屋根の家があり、そこの庭には犬が鎖につながれていました。いつも子どもが通るとものすごい勢いで吠えるので、怖がって誰も寄り付きません。
私と、一緒に帰っていた親友のTちゃんも最初、その犬の傍を通る時は小走りで逃げるようにしていました。
ある日、母からこんな話を聞かされます。
その犬(母は勝手にシロと呼んでいました)の飼い主Sさんは少し変わった人であること。そして、シロの世話を全くしていないということを。どうやらシロはご飯もまともにもらえず、散歩も何年も連れていってもらえず、ただただ鎖につながれているそうなのです。糞や尿の処理すらせず、ましてや体も洗ってもらったことがないと言っていました。
母や近隣の人は何度も飼い主に訴えに行くのですが、全く聞く耳を持たないそうなのです。「自分の犬をどうしたって構わないじゃないか。余計なお世話だ!」と。
なるほど、シロはいつも汚くて悪臭を放っているのに加え、ガリガリに痩せていました。母をはじめ、見かねた人たちがたまに掃除をしたりご飯をやったりしていたそうです。その話を聞いた後は、私とTちゃんも給食のパンを食べさせたり、牛乳を飲ませたりしてシロと徐々に仲良くなっていきました。
あれは夏休み中のこと。
夕食を食べている時、母の口からショッキングな話が飛び出しました。町内会の人達に注意されたS(飼い主)さんが、
『だったらこんな犬、要らん!』と言って保健所を呼んだと。シロは明日連れていかれるらしいと言うのです。
当時、私が住んでいた団地には野良犬が沢山いて、保健所に連れていかれる犬たちを何度も目の当たりにしてきました。
だけどシロは飼い犬です。飼われているのに一切の飼育を放棄され、挙げ句の果てにはその飼い主自身から保健所に連絡される…そんなかわいそうな話があるでしょうか。
私は翌日、Tちゃんの家へ行ってシロの話をしました。Tちゃんは、
「シロが殺されるなんていやだよ」とボロボロ涙を流しました。私も堪えきれずに泣きました。
そして私たちはある決断をします。
今考えても稚拙で、その場しのぎの考えでした。だけど、その時はそれが正義だと、シロのためになるのだと思い込んでしまったのです。
私たちはその日、シロをつないでいた鎖をほどきました。飼い主に見つからないようにと、恐怖や罪悪感と戦いながら無我夢中に。
自由になったシロは私たちを一瞥もせず、まっしぐらに駆けていきました。何かから必死に逃げるかのようにも見えました。
犬って、あんなに速く走れるものなのか。みるみる小さくなっていくシロの後ろ姿を見ながら、場違いに感心したのを覚えています。
こうして今考えると、シロを逃がした罪の大きさがよくわかります。
もしかしたらどこかで人を咬むかもしれない。捕まって、結局は保健所に連れていかれるかもしれない。野良では生きられず、どこかで息絶えるかもしれない。車に曳かれてしまうかもしれない。
私たちがしたことは明らかに悪いことです。それは小学2年生の私もTちゃんもわかっていました。だから二人だけの秘密にしようと決めたのです。
帰り道、Tちゃんがボソッと言いました。「シロ、優しい人に飼ってもらえたらいいね」。
悲しみ、罪悪感、安堵、軽い達成感…。様々な感情が入り交じり、気付くと私は泣いていました。横を見るとTちゃんも、鼻水を垂らしながらやっぱり泣いています。
あの日を境にいなくなったシロ。
飼い主のSさんも、周りの住人も保健所に連れていかれたのだと信じていました。「うちで飼ってやればよかった」と母も当時は随分と落ち込んでいたものです。
…真相は私とTちゃんしか知りません。
現実はそう甘くはないのはわかっていますが、30年以上経った今でも願い続けています。
シロにとってのハッピーエンドを。