塾長ブログ

大人の時間。子供の時間。


国語講師の学習ブログ ~札幌発!こくごの教室

時間は平等。

よく使われる言葉ですよね。


確かに、「絶対的な時間」は万人共通です。

時間は、貧富の差や国籍を問わず、平等に流れています。


でも、時間というものに対する個人の受け取り方は等しくはありません。

例えば、今か今かと待ちわびている時間はとても長く感じます。

逆に、何かに夢中になっている時間はあっという間です。

「時間の感覚」は、その人の・その時の状況によって変化するということです。


また、「子供の時間」と「大人の時間」は異なります。

幼児期は、「時間」というものの観念が希薄だと言われています。

「あと4時間25分で今日と言う日が終わるね、お母さん」

なんて言う3歳児、見たことないですよね(笑)。


子供にも「時間」という観念はあります。

でも、大人が持っているような、正確な時間の感覚は希薄です。

時計を見て、「あと何分でアニメが始まる」ぐらいのことは認識できるでしょうが、

・何か行動を起こすのに、あとどれくらいの時間が必要か。

・どれくらいの時間がかかってしまうのか。

・一定の時間までに、何をどう行動するのか。

…などという、どんな大人も無意識に行なっていることが子供はなかなか出来ません。


子供におつかいを頼んだとします。

帰りが遅くて、お母さんが子供に注意をしている場面をよく見かけますね。

どうしてこんなに遅くなったの?寄り道してたでしょむかっ!」


でも、子供は遅くなったという認識はそれほど無いのです。

…どうしてお母さんは怒るんだろう?

…ほんの少し、わんちゃんとお話していただけなのに。

…ほんの少し、道路の線に沿って歩いていただけなのに。

…ほんの少し、けん・けん・ぱーをして遊んだだけなのに。

これが子供の感覚です。

子供にとっては、お母さんの言う「こんなに遅く」が理解できません。


幼児期が過ぎ、次第に大きくなるにつれて「時間の感覚」が時計通りになってきます。

「大人になる」ということは、絶対的な時間の感覚を手に入れることでもあるのです。


ただし、それが一概に良いことだとは言えません。

例えば、こんな考え方をする人もいます。

「人間が生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まっているのだ」、と。


あながち間違えてはいませんが、死ぬために人間は生きているわけではありません。

このような悲観的な考え方は好きではないのですが、死は現実的に受け入れざるを得ない事実でもあります。


時間の観念を手に入れた瞬間から、「老い」や「死」と向き合って生きていかなくてはなりません。

「子供の時間」を生きる彼らには、当然それらの観念も理解しにくいでしょう。

永遠に自分は死なない。お母さんやお父さんも今と変わらない。

そう本気で思っているのが幼児です。

時間の観念を手に入れるということは、いろいろな意味で「限界」を知ることだと思います。


また、幼児期に感じていた、ゆったりと、そして永遠に続くかのように流れていた時間は失われます。

「○時までに…をしなければならない」

「○時になったら、…をしよう」

などと、細分化された時間の中を生きる感覚を身に付けることになります。

時間という、ある意味「型」にはまった生き方を余儀なくされるのです。

最後に。

時間は傷を癒す薬にもなります。

係累(自分を縛りつけるもの)にもなります。

主観的な言い方をすれば、「優しくも厳しくもある」ものが時間です。


それらを理解して受け入れることも、大人への第一歩なのかもしれません。


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