私が幼い頃、母の行なってくれた「読み聞かせ」は独特なものでした。
母は本を普通に読むだけではありません。
私たち姉妹を巻き込んだ、「参加型の読み聞かせ」をしてくれました。
具体的にはこうです。
新しい本を読む時、途中で本を閉じて「このあと、メリーはどうなると思う?」と質問します。
私たちが思い思いに予想した答えを言うと、「なるほどね~」とか「そうかもしれないね!」とか母は相づちを打ってくれました(「違うよ」とは一度も言われたことはありません)。
また、読みなれた本に関しては、「今日はストーリーを変えてみよう」と言って、これまた途中で本を閉じます。
例えば、「桃太郎」の本だったとしますよね。
途中まで本を読んで聞かせ、その後の展開を本とは違った内容にするという遊びです。
「桃太郎は鬼退治に出発しました。でも桃太郎は方向音痴だったので、途中で道に迷ってしまい……」
「桃太郎は、ネコとダチョウとカラスを連れて、鬼が住む島に向かいました」(本当はイヌとキジと猿)。
などというように、話そのものを変えるというものです。
…私はこれで、想像力がかなり鍛えられたと思います。また、話を作って人に聞かせるには「構成力」が必要です。これに関してもとてもよい訓練になりました。
こんな読み方もしました。
本を台本のようにして、配役を決め、劇の練習のように音読する…という「演劇読み」です。
母はいつも、真っ先に一番良い役を自分で演じようとしました(笑)。大人気ないでしょ…
母「お母さんはナレーターとミーコ(主人公)役ね。あっけ(私)は…子豚、まっちゅ(妹)はペットの犬の役ね」
私「またぁ?!…私もミーコがいい!子豚なんてイヤだよ!」
母「わかった、わかった。次はあっけがミーコね。まずはお母さんがミーコやるから。」
こんな具合で、一番楽しんでいたのが母でした
この「演劇読み」では、母から私たちへのダメ出しが結構ありました。
「この場面の前で、ユミちゃんのおばあちゃんが死んでしまったんだよ?それなのに、そんな明るい声を出すかなぁ?」とか、
「それじゃあ、全然びっくりしているように聞こえないよ」とか。
この読み方では、登場人物の心情把握や、「言葉遣いや言い回し」を覚えました。
ただ聞いているだけではなく、口に出してセリフのように言ってみることで、言葉が「生きた」ものになったのでしょう。
「ごきげんよう」「お体はもう大丈夫なの?」などといった挨拶言葉も、この遊びで随分たくさん覚えたものです。
たくさん本を買って読み聞かせるのも良いのですが、ボロボロになるまで読み尽くした本でも、工夫次第で楽しい「教材」として生まれ変わります
私はこんな「読み聞かせ」で、国語が大好き&大の得意になりました。
全て母のおかげだと思っています