塾長ブログ

妻の悲痛な想い…「蜻蛉日記」

嘆きつつ  一人寝る夜の明くる間は  いかに久しき ものとかは知る

●現代訳:今夜もあなたが来てくれないことを嘆きながら、1人ぼっちで寝ている私。そんな夜がどんなに長いものなのか、あなたにはわからないでしょうね。

これは、藤原道綱母(ふじわらの みちつなの はは)が詠んだ歌です。百人一首にも選ばれているので、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

道綱母という人は藤原兼家(かねいえ)の妻でしたが、当時夫にはもう1人の奥さんがいました(その奥さんの名は時姫と言って、道長や道隆のお母さんにあたる人です)。
道綱母は、とても美人で、しかも才女との名声高い女性でした。ところが、道綱ひとりしか子宝に恵まれなかったのに加え、かなりヒステリックな性格だったせいか(…たぶんこちらが主な原因)、夫である兼家の気持ちはだんだん彼女から離れていきます。

彼らが生きる平安時代では、夫が妻の家を訪れる「通い婚」が中心。めったに自分のもとに来なくなった夫に対して、道綱母が詠んだのが冒頭の歌です。

夫がなかなか自分のもとを訪ねてこない。なんて薄情な人なんだろう。私は夫を頼みにしているというのに…。彼に愛されている時姫が憎い。

そんな強い感情を上手くコントロールできなかったのでしょう。たまに訪ねてくる夫に対して、いつも彼女は冷たく当たります。拗ねて口をきかなかったり、敢えて神経を逆撫でするようなことを言ってみたり。

せっかく妻に会いに来たのにいつもイライラした様子で噛みついて来られると、夫だって嫌になりますよね。実際にますます足が遠のいていきました。

雨が降るある日、道綱母は仏道修行をするためにお寺に籠もります。こんなつらい世の中ならいっそ「出家」でもしようか、という気持ちもありました。

ところが、心配した夫・兼家が彼女を寺から連れ戻してしまいます。その時、夫が妻に冗談を言いました。
「あんたのこと これからアマガエルって呼ぶわカエル

「雨蛙」と、尼になりきれなくて帰ってきたので「尼帰る」二つの意味が掛けられている(掛詞)、兼家流のダジャレです。

それを聞いて周りの人は大笑い。 だけど言われた本人はクスリとも笑えません。
「一体、誰のせいで寺に籠もったと思っているの?なにがアマガエルだ。ふざけるのもいい加減にしてよパンチ!…と、道綱母は思ったことでしょう(笑)。
空気を読まないで思ったことを口にする夫と、冗談1つ聞き流せない妻。全く噛みあわない2人です。

藤原道綱母のそんな日常を綴った日記が、入試頻出作品である「蜻蛉日記(かげろうにっき)」です。日記作品を読解するポイントは、作者の中心心情や気持ちの推移を読み取ることです。そのためにも、有名日記の中心心情を予備知識として押さえておくと良いでしょう(例えば、「土佐日記」は、任地で我が子を亡くした作者が、その死を悼みながら現地の人々と交流しつつ京の都まで帰る旅日記なのですが、「我が子を亡くして悲しい。」「早く都に帰りたい」という思いが作品を貫く中心心情となっています)。

この「蜻蛉日記」。中心心情はこんな感じかな。
今日も夫は来ない。きっと、あの女の所に行っているんだろう。…つらい。いっそ出家しちゃおうか」。

夫と2人の妻。「昼ドラ」チックなドロドロの愛憎劇。
この作品の一場面のみを切り取って入試として出題されるのは、受験生にとって何だか酷な感じがします(笑)。

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