森進一さんの代表曲の1つである「襟裳岬」。私はこの歌の世界観が大好きです。作詞家の岡本おさみさんはこの「襟裳岬」という作品で果たしてどんな「絵」を描きたかったのか、どんな気持ちを込めたのか、この曲を初めて耳にしたときから、事あるごとに考えてきた曲でもあります。
歌詞にいささか謎めいている部分もあり(例えば、語り手はどこにいるのか、それぞれの主語は誰か、同一人物に語りかけているのか、否か…など)、その真意は岡本おさみさんご自身しかわからないというのが正直なところです。それでも今回、私なりに解釈してみましたが、あくまでも個人的な見解なのでこれが正解という訳ではありません。
•語彙や表現(縁語や比喩)などによる国語的読解
•岡本さんが過去に発表したコメントやインタビュー記事の内容
•襟裳岬に直接足を運んだ時の印象や、現地で感じ取ったもの
それらを手掛かりにして歌詞を解釈したのが以下です。かなり意訳しています。
襟裳岬
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎
「北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい/理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうち 老いぼれてしまうから/黙りとおした 歳月(としつき)をひろい集めて 暖めあおう/襟裳の春は 何もない春です」
【解釈】活気に溢れ、賑やかな北の街では春の準備を始めているらしい。過去に経験した辛さや悲しみなどを清算して、気持ちも新たに、春という季節を迎え入れるんだ。
確かにそうだよね。あっという間の人生、悩んでいる時間がもったいない。だから過ぎし日の確執など捨ててしまおう。お互いにつまらない意地を張ったばかりに、長い間心を閉ざしていた日々。その溝を今こそ埋めていこうよ。
「君は二杯めだよね/コーヒーカップに角砂糖をひとつだったね/捨てて来てしまった わずらわしさだけを くるくるかきまわして/通りすぎた 夏の匂い/想い出して 懐かしいね/襟裳の春は 何もない春です」
【解釈】コーヒーも2杯になるのかな。ずいぶんと話し込んでしまったね。人間関係のいざこざとか、しがらみとか…煩雑なモノたちを断ち切って、ここにやって来た君。それにしても、あの頃は本当に楽しかったよね。君と向かい合っていると蘇ってくるよ。若かりし日の僕たちの姿が。屈託なく笑い過ごしたあの日々が。懐かしいよね。
「日々の暮らしは いやでも やってくるけど/静かに笑ってしまおう/いじけることだけが 生きることだと 飼い馴らしすぎたので/身構えながら 話すなんて ああ おくびょう なんだよね/襟裳の春は 何もない春です」
【解釈】誰しも日常という現実から逃れることはできない。それが生きるってことだから。生きていると苦しいことも面倒なこともあるよね。そんなときは「乗り越えよう!」なんて無理に頑張らなくてもいい。ただ静かに笑って受け流してしまおう。
自分なんかが声を上げてもきっと無駄だろう、世の中ってどうせそんなものだろうと諦め、自分自身を抑え込みながら生きてきた。だから誰と話していても、『非難されないように』『傷ついて絶望しないように』と、ついつい予防線を張ってしまう。自分を守るために身構えてしまうんだ。そんな僕はきっと臆病者なんだよね…(苦笑)。でも、もうそろそろ、そんな生き方から抜け出したいと思っているよ。
「寒い友だちが 訪ねてきたよ/遠慮はいらないから /暖まってゆきなよ」
【解釈】傷つき疲れ果てた友よ。ここ、襟裳は何もない所だけれど、凍えた君をあたためるだけの飲み物があるし、笑顔で迎え入れてやれる人間(僕)がいる。遠慮はいらないから、ゆっくりしていきなよ。そしてまた前を向いて生きていこう、お互いにさ。
【解釈をする際の考察】
★「襟裳の春」について
・襟裳の春に無いもの
都会的な街やモノ/しがらみや過去の因縁/自分自身をがんじがらめに縛り付けるもの/凍てついた悲しみ
•襟裳の春にあるもの
広大な自然/あたたかい人間(人情)/日常の暮らし/明日を生きる希望のようなもの
★縁語関係について
暖炉→拾いあつめる•燃やす•暖まる
コーヒー→角砂糖•かきまわす•匂い
★特定の語に象徴された心情について
•「寒い」→悲しみ•悩んで•老いぼれ•黙り通す•わずらわしさ•いじける•身構えながら•臆病
•「暖まる」→悲しみを燃やす•暖めあう•懐かしい•静かに笑う