久々に古文でエッセイを書いてみました。巷で流行っている「和風変換」ではなく、ガチの古文変換です。頻出古語や文法を敢えて用いて書いてみました。受験生の皆さんはぜひ古文読解にチャレンジしてみてくださいね。便宜上、敬語(丁寧語)は最初にしか付けていませんので悪しからず。
古文に興味がない方は、現代語訳のみお読みくださいませ。
(古文)
かなしき子をば出で立たせよ、てふ言の葉ぞある。江戸のときより世にあへる言(こと)に侍り。
そのかみ、当世に違(たが)ひて路の悪しかるなり。出で立たんは、うつせみの命失すべきさがしきわざにこそありけれ。さるに、出で立たせよ、てふはいかにぞや。かく言(こと)、吾子をことさら生ほさんと思はば、親里に置きてあはれみわたらで、外の方に出だして、かたきこと、いたつきをならはすべきとなむ心ある。子のわびしく憂からんとも遣れ。旅に出づるは、させる由こそあらめ。げにさもありぬべし。親なれば、子は時を経てうしろめたくかたはらいたけれど、ほど見てかたみに離るる心まうけの要(えい)ずるぞかし。
さるは当世にても、子を出で立たせんはやむごとなきことなり。いまだ見ぬ方をありくに、知らぬ世を心得、ことごとなる思ひをも知るべし。道のほどにてすずろなる目をみることもあるに、つぎつぎ然るべくことわりて行ひぬべし。旅こそ子のおとなしくてはづかしくならん隙(ひま)にこそなり侍れ。
旅のよきを思ゆるは子のみにあらず。はやくのこころばへより離(か)るものの、今ぞあらまほしきことに、うしろやすくてうらなくものす頃ほひなり。人の世に心動かし、おどろき色はんままに出で立つべし。されど、遠きかたに行くべしとなむ言はじ。家居よりいささか離れたるすさび場に行くも旅、例ならぬ方にて車を降りありくもはかばかしき旅なり。思ひみる心ひとつにて、時わかずいづれも旅人とならる。いざ、あらたき世、あらたきわが身に触るる旅に出で立たむ。
(現代語訳)
「かわいい子には旅をさせよ」という言葉があります。江戸時代から一般的に使われるようになった諺の一つです。当時は現代と違って交通網が発達していない時代。旅に出ることは時として、命の危険を伴う一大イベントでした。そんな状況下で「旅をさせよ」と言うのはどういうことなのか。この言葉には、「我が子を大きく成長させるためには親元に置いて甘やかすのではなく、外の世界で困難や苦労を経験させることだ」という意味が込められています。苦しくても辛くても行け。旅にはそれだけの価値がある、ということなのでしょう。確かにその通りだと私も思います。我が子は親にとって、いつまで経っても心配で危なっかしい存在ですが、時期が来たら親離れ・子離れする覚悟が必要かもしれませんね。
また、現代においても子どもに旅をさせることは意義あることです。知らない世界を知ることで視野が広がりますし、様々な価値観に触れることもできます。旅に出ると時として予定外のことも起こるので、その都度、臨機応変に考えたり行動したりすることもあるでしょう。旅に出ることはその子の経験値を上げ、人間として大きく成長できる契機となるのです。
「旅」の醍醐味を享受できるのは子どもだけではありません。元来の意味合いとは異なりますが、今は嬉しいことに安全で気軽に旅を楽しめる時代です。人生に驚きと気付きと彩りを与えるためにも旅に出かけることをお勧めします。なにも遠い所に行かなくても良いのです。家から少し離れた公園に行くのも旅だし、いつも乗るバスを途中下車して散策するのも立派な旅です。発想と気持ちひとつで、いつでも誰でも旅人になれます。さあ、新たな世界と自分に出会う旅に出かけましょう。