ある学習塾に講師として勤務していた頃の話です。
その塾には「生徒休憩室」があり、そこで生徒たちがお弁当を食べたり、飲み物を飲んだりします。
ある日の夜、小学校低学年だったAちゃんもそこで食事をしていました。
彼女に用事があったので、話しかけようと近付いたその時、思わず我が目を疑うような光景を目にしました。
Aちゃんは食事をしています。
ただ、普通の食事ではありません。
手には透明のビニール袋を持っています。中にはカップ麺の麺…乾燥したままの麺が入っています。袋の底に溜まっているのは粉末スープの素でしょうか。
せわしなく手を動かして、麺を取り出しては口に運んでいます。
怪訝に思って聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「お弁当を作ってって言ったら、お母さんがこれを持っていけって…。お湯なんて入れなくても、口に入れば同じだからって。」
まさかこれが夕食?
他には何も食べないの?
と聞くと、うんと頷きます。
Aちゃんは、いたずらが見つかったように終始オドオドしています。
私とAちゃんとのやりとりを見ていた(彼女と仲の良い)子から聞いた話では、
乾麺をビニール袋に入れてポリポリ食べるという異様な食事はAちゃんにとって普通だということ。
Aちゃんのお母さんは全く料理をしない人で、いつもスーパーの惣菜かインスタント食品だということ。
そもそもお母さんは夜は家にはいないことが多く、Aちゃんはほとんど1人で食事をしているということでした。
発育著しい時期に、夕食がカップ麺。
それだけでも信じがたいのに、
それが常習的で、しかも「お湯無し」って…。
我が子への愛情の欠片も感じられません。
たとえどんな事情があるにせよ、です。
食事で摂る栄養は体だけでなく、心や脳力にも大きく影響を与えます。
どんなに塾に行かせても、栄養失調の体では勉強なんて出来ません。
集中力はもちろん、座っているだけでも筋力や体力は使います。その体力を維持するのは食事による栄養分なのです。
思えばAちゃんは、ガリガリに痩せた女の子でした。
もっと前から私は気付くべきだったのです。
塾長からすぐにお母さんの電話番号を聞き出して、食生活を改めるようにと強く訴えました。経済的に苦しいなら、塾なんか辞めてでもAちゃんの生活を正してやるべきだと。
結局、お母さんにはわかってもらえぬままAちゃんは退塾することになりました。
塾長からは
「坂本先生が余計な電話をかけたせいで、生徒が1人減ってしまった」とかなりの嫌味を言われましたが、その時の私は全く後悔はしませんでした。
…経験を積んだ今なら、もっと上手い説得の手段を見出だせたかもしれませんね。でも当時の私はまだ駆け出し講師で、心を動かすような言い方が出来なかったのでしょう。
これらの苦い経験が現在の指導者としての糧になっています。
今でもカップ麺を見ると、Aちゃんを思い出します。健やかに成長していることを祈らずにいられません。