私は札幌市清田区の「里塚」という所に住んでいます。4歳の頃にこの地に越して来てから現在まで、途中家を出ていたこともありますが、ずっと里塚暮らしです。
「里塚(さとづか)」の地名は「三里塚(さんりづか)」の「三」を略して訓読みしたもので、もともとここ一帯は三里塚と呼ばれていました。
現在では「三里塚小学校(私の母校)」と「三里塚神社」等にその名残があるだけで、固有名詞としてはあまり使われていません。
私は子どもの頃から「由来」とか「語源」に興味があり、この里塚(三里塚)の地名の由来もこれまで何度も調べました。
わかったことは次の通りです。
★明治13年に、天皇陛下が札幌にいらっしゃった際、札幌から室蘭までの34里(136㎞)に目印として一里(4㎞)ごとに標識を立てた。その標識が「塚」。
★三里目(約12㎞)の標識があったのが三里塚。
★天皇が札幌から千歳に馬車で向かわれるまでの道中、一里(約4㎞)ごとに休憩をとられた。
★明治時代当時、主要道路である国道36号線(室蘭街道と言った)は、かなりの悪路で馬車で行くのも大変な労苦を伴った。
…長年、ずっとやってみたかった企画!
今日は歴史探訪の旅として、一里塚から六里塚まで実際に足を運んでみようと思います。
まずは起点(ゼロ地点)へ。
札幌市中央区南1条東1丁目「創成橋」付近
起点から国道36号線を約4㎞千歳方面に向かったところに一里塚がありました。
月寒中央通1丁目あたりです。
次は二里塚です。
跡地に目印は何もありませんでした。
日糧製パン㈱の道路を挟んだ向かい、農業研究センターの土手の上あたり。そこが二里塚だったそうです。
明治天皇が休憩された場所には碑がありました。(豊平区月寒東1条16丁目)
そして私たちの地元である三里塚。
もともと三里塚の場所はもう少し先…桂台団地バス停あたりと考えられていたそうですが、近年の調べで場所が特定され、碑がたてられました。
清田区平岡2条6丁目 旧道沿い
さあ、どんどん行きましょう!
次は四里塚です。
「柏葉台団地(はくようだいだんち)」のバス停あたりが当時の四里塚。
私が小学生の頃まではバス停の名前も「四里塚」だったのですが、いつのまにか変わったようですね。
付近にある大曲中学校の敷地内に、天皇が休憩された場所を示す碑があります。
北広島市大曲中央2丁目4
五里塚
ここはほとんど情報がなく、塚の場所が特定できません。でも大体距離的にこの辺りのようです。
北広島市輪厚中央5丁目
六里塚は旧島松駅逓あたり。
当時は室蘭街道の要となった場所でした。
ここで天皇は御昼食を召し上がったそうです。
クラーク博士が「少年よ 大志を抱け」の名言を残したのもこの場所です。
以上、六里塚までを辿ってみました。
企画的には、少々地味かなぁ、と思っていましたが、沢山の発見もあり、とても楽しいものでした♪