先週、西興部村に住む伯母が亡くなったので、葬儀に参列しました。
そこで耳にした言葉です。
「○○さん、天寿をまっとうしましたよね」
町内会の役員らしき人が喪主の叔父にそう声を掛けていました。
天寿をまっとうする
というのは、長生きした人が無くなった時に「身内」が使う表現です。
「98歳も生きていてくれたんだから、うちのお祖母ちゃんは天寿をまっとうしたよね 」
というように。
遺族に対して他人が、「天寿をまっとうしましたね」とは普通は使いません。
同じように間違えて使ってしまう弔事言葉です。
大往生
「苦しまずに安らかに亡くなった」時に身内が使う表現です。
これも「身内」が使うものであって、他人が遺族にかける言葉ではありません。
また、弔事で忌み言葉として嫌われるものも覚えていたいものです。
重ね重ね 返す返す 続いて 迷う 浮かばれない
などが相当します。
不幸を繰り返すという悪いイメージから、重ね言葉は敬遠されています。
こういう言葉遣いについて指摘するとき、いつも思うのは、「心に言葉を乗せる」という考え方です。
心が籠っていない飾った1000の言葉より、
言葉遣いや文法が多少間違えていても、気持ちの籠った言葉のほうが相手の心に響くものだと私は思っています。
とは言っても、相手に伝わらないような言葉や傷つけるような表現を用いては意味がありません。
伝えたい心があって、そこに適切な言葉を選んで乗せる。それが本筋なのでしょう。
相手に自分の気持ちが誤解なく伝わること。
わかりやすく届くこと。
嫌な気持ちにさせないこと。
そのために私たちは言語を習得し、言葉遣いを覚え、文章作法や会話ルールを学ぶのだと思います。