言語の学習において、読むことと書くことは1セット。
書けるようになるためには読めなくてはいけないし、読むためには「良い書き手」になる必要があります。外国語を初めて学ぶ時のことを考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。ただただ単語や文を書いているだけでは聴き取ることができません。逆に、聴いているだけでは読めるようになりませんね。リーディングとリスニング、どちらも語学習得に欠かすことのできない両翼なのです。
ところで、国語の「古文」が苦手だと言う人が多いのは、古文が既に死んだ言語だからです。当時の言葉を話すことができなければ、聞くこともできません。唯一できるのは文献を「読む」ことだけ。「話す」「聴く」「書く」「話す」の四つが言語活動を形成する大きな柱であるのにも関わらず、古文はその一要素である「読む」ことしか学校では学びません。それではなかなか習得できないと思うのです。
予備校講師時代、どうしたら生徒達が古文を読み解けるようになるのか、若かりし私は悩みに悩みました。そして思い至ったのです。確かに古文は失われた言語。話すことも聴くこともできない。でも、「書く」ことはできるのではないか、と。
試しに、まずは自分でも古文で日記を書き始めてみましたが、これはなかなか上手くいきそうだと大いに手応えを感じたのです。
と言うことで、ある程度の古典文法が頭に入ったら、その復習として、みがくの生徒には「古文作文」に挑戦してもらっています。
古文で文章を書くと、接続や活用形を覚える意味や、その使い方を身をもって知ることができるので、ただ問題集をひたすら解くよりもよほど確実に文法知識が定着するのです。
この古文作文。問題集として出版したいと考えています。何とか今年中に体系化したいけれど、それも私の体力次第かな…。