古文日記
生まれて一とせのめのこ、近ごろ語りいでたり。言の葉を並べて言ひ合はさるるになれるや。
「ひいちやん、ねぶたきぞ。母、臥所へ行かむ」など。
はじめこそ言はん筋の心得がたきこと多かるに、我らすべなく、めのこは苛つ。
思ふままにえ伝はらで、心もとながるは人の本地の心ならむぞ。
やうやう物の名聞こえ、言の葉のあきらむる女子、いとど語らはばやと思ふめり。
言の葉ぞ人に伝ふるままにあるべき。
めのこと明け暮らす日にて、さることわりに さらさらおどろかさるるぞかし。
現代語訳
娘(1歳)が最近おしゃべりをするようになってきた。単語をつないで話ができるようになってきたのだ。
「ひーちゃん、ねぬい(眠い)。ママ、ベッド いこ!!」
というように。
以前は何を伝えたいのかわからないことが多く、私たちは困惑し、娘自身はイライラ…。
伝わらないことのもどかしさや寂しさは、人間の本能的な感情なのかもしれない。
徐々に物の名前を覚え、言葉の使い方を理解してきた娘は話したくて仕方ないみたい。
「言葉は相手に伝えるためにある」
娘との日々は、そんな当たり前のことを改めて気付かせてくれるのだった。