久々に古文日記を書いてみました。いや、今回は日記というよりエッセイに近いかな。
このブログは高校生も読んでくれているので、なるべくわかりやすい古文作文にしています。古文の下には現代語訳も書いてあるので、まずは古文を読んで、文意が読み取れたかどうか確かめてみてくださいね。
【古文】
我、森をありくことなむ愛づるなる。
こむらのあまたある方に生ひ出でたるゆゑにや、幼きほどには山にて木に登りつ、川にて貝やどぜうをとらへつして興じたり。蛇いちご、さるなしの実、ぐみのごとき実を食ふことも慰みにありしぞかし。そのかみ、今より虫のいと うたてからざりき。人にとりてあやうき生類や草木などぞ、たれに教へられたるにあらねど、おのづから知られぬべし。さても かかる我らのおぢたるこそ野犬なれ。例のわたりは野犬の多くありて、そにしげく追はれたるなり。学びやのうしろの山に熊ありけるに、幼き子ら おぢたること野犬にしかざるを思い出でらる。ただ今となりては、さるもまたあはれなり。
今もこむらに身を置くに あやしう落ち居るものなり。かねて忘れにけるを思ひ出でさせらる。こと繁き日を過ぐしわたるに、見えずなりぬるものこそあきらむめれ。
鳥、虫の声を耳聞き、草木の香に立つを吸ふに、もとより具したる底ならむもののかへりたるがごときなり。
あな、山をありかむ日の心もとなかりけるや。
【現代語訳】
私は森を歩くのが好きだ。
周りに自然がたっぷりある所で育ったせいか、子どもの頃は山で木登りをしたり、川でタニシやドジョウを捕まえたりして遊んだ。ヘビイチゴやコクワ、グミなど、野生植物の実をとって食べることも楽しみの1つだったっけ。当時は虫も今ほど苦手ではなかった。人間にとって危険な生物や植物なども、誰に教えてもらったわけではないが頭に入っていた気がする。ただ、そんな私たちでも恐怖を覚えたのは野犬の存在だ。あの頃は、野犬が結構いて、彼らによく追いかけられたものだった。小学校の裏山には熊が生息していたが、私たち子どもにとって、野犬は熊よりも恐ろしかったのを覚えている。今となってはそれもまた懐かしい思い出である。
今も自然の中にいると、不思議と気持ちが落ち着く。普段、忘れているものを思い出させてくれる。せわしない毎日で見えなくなっていたものが姿を現すような感覚になる。
鳥や虫の声に耳を澄ませ、草木の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、本来持っていた力のようなものが戻ってくるかのようだ。
ああ、次の山歩きが待ち遠しい!