「古文は難しい」
よく耳にする言葉です。
そもそも言語は使いこむ中で記憶や知識が定着します。
例えば漢字をイメージしてみてください。長い間使っていないと忘れてしまいませんか?
普段使わないから覚えられない。
古文なんかはその代表です。
現代では古文を話すことも聴くことも書くこともしません。教科書やテキスト、書物などで読むだけですよね。
もちろん、テストで問われるのは読み取る力だけです。
英語だろうが韓国語だろうが、
書く、読む、話す、聴く。
言語習得にはこれら4つの力が必要不可欠。日本語も然りです。
それなのに「読む力」だけ育てるなんてそもそも無理があるのです。
私は元々古文講師でした。
生徒たちに古文嫌いを何とか克服してもらおうと、当時は試行錯誤したものです。
現代ではすでに失われた言語。
話すことも聴くこともできないけれど、せめて書くトレーニングをしたらどうか?
私はそう考えて、生徒たちに「古文作文」を課してみました。
その結果…真面目に続けた生徒は明らかに古文が読めるようになったのです。模試で45くらいの偏差値が60台まで伸びた子すらいました。
読めるようになるためには書くこと。その「バランス」がやはり重要だったのです。
その後もたくさんの生徒を指導する中で、この古文作文は非常に有効なトレーニングだと自信を持って言えるようになりました。
やり方は単純。
覚えた単語や文法を使って、古文で文章を作ってみることです。
最初は短文から始め、徐々に長くしていきます。
1日1文でいいので、その日あったことを古文作文してみるのも良いですね。現代語が一部入っても全く構いません。
例えばこんな感じに!
今日、友だちと会ってワッフルを食べた。
けふ、友と会ひて「わつふる」を食ひたり。
慣れてきたら次のような古文作文も書けるようになります。
今回は「枕草子」風にいってみますね。
『心はしるとき』(坂本明美 作)
ゆかしき甘味を買ひて帰りゆくとき。
車より遠出せむほどにぞ用ふべけれと、楽貸す店にて聞かまほしき歌をとかく選り出づるとき。
浜辺にてあはれなる石を拾ひたるとき。
我が子に、あらたき書の買ひて程無きを読みて聞かするとき。
教へ子の「げにやげに」とおどろきたらむ顔しつるとき。
現代誤訳
『ワクワクする時』(坂本明美作)
おいしいスイーツを買って帰る時。
ドライブする時にかけようと、レンタルショップで聴きたい曲をあれこれ選んでいる時。
浜辺でキレイな石を拾った時。
我が子に買ったばかりの新しい本を読んで聞かせる時。
生徒が「なるほど~!!」と、はっと気付いたような顔をした時。