「私は人に注意をされるのが大好きです。どんどん私に注意をして下さい」
…もしもそんな人がいたら、ぜひ会ってみたいです(笑)。
人は注意されたり怒られたりするのに普通は抵抗があります。
セミナー会場等で受けた、「携帯電話を使用するのはお止めください!」というような注意なら、「すみません」と素直に謝れるでしょう。
自分の行為が他の人に迷惑を掛けている、という自覚があるからです。
でも、「あなたのそういう性格は直したほうがいいよ」
…そんな注意を受けたとしたらどうでしょう?
「どうしてあなたにそこまで言われなきゃいけないの?!」とか、
「あなたに私の何がわかるって言うの??」とか、
「あなたに人のこと言えるの?」
などと、反論したくなりませんか?
たとえ口では「そうだね、ありがとう」と言ってはみても、なかなか素直に受け入れられない時もありますよね。
また、その言葉を発した人が自分とどれくらいの距離にいる人か(あまり親しくない人に言われるのか、何十年来の親友に言われるのか…等)によっても受け取り方が違うかもしれません。
人間、「本当のこと」や「気にしていること」を言われると感情の針が大きく揺れるものです。
動揺したり、腹が立ったり、傷ついたり。
例えば、「私、最近太ってきたかも…」と気にしていた矢先、久々に会った友人に
「あれ?あなた、顔が丸くなってきたんじゃない?」などと言われると、ちょっと落ち込みます(笑)。
どうしてそんなことをはっきり言うかな~。少し無神経じゃない?!そういうあなただって……と、ムカついたりするかもしれません。
逆に、見当外れの批判を受けた時は、それほど感情の針は揺れません。
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カーナビ並みに地理を正確に把握していることを誰よりも自負している人がいたとします。
その人が誰かに「あなたって、方向音痴っぽい顔をしているよね~」と言われたとしても、多少はムカつくかもしれませんが、激怒するまでは至らないのではないでしょうか?
揺ぎ無い自信があれば、他人に批判されて多少ダメージを受けたとしても、すぐに回復するものだからです。その批判は正しくないよ、と絶対の自信で笑い飛ばせるでしょう。
自信がない部分。
自分でこれはダメだと思っている部分。
気にしている部分。
それらを指摘されると、「感情の針」が大きく揺れて、ムカついたり落ち込んだりするのだと思うのです。
ここで視点を変えて、「指摘する側」の立場になって考えてみましょう。
人の批判をする、注意をするという行為にはパワーが必要です。
相手の悪い所や気になる所に触れず、無難にやり過ごしていれば、その人との人間関係に余計な波風が立たずに済みます。
誰だって、人に嫌われたいとは思いません。
にも関らず、敢えて注意をする。それはとてもパワーの要る行為です。
自分のために敢えて苦言を呈してくれる人は、自分にとって必要な人であり、本気で自分を心配してくれている人であることが多い。
私はそう思います。
だからと言って、その人の指摘内容を納得し、全て受け入れるべきだと言いたいのではありません。
パワーを使って自分と向き合おうとしてくれているその「気持ち」はとても有難いものだと感謝し、その人がそう言ってくれているのだから、それも1つの真実だ、と真摯に受け止める姿勢が大事だと思うのです。
自己防衛という壁をなるべく作らず、素直に人の意見を聴き入れる。
そんな姿勢の先に「成長」があるのだといつも私は考えています。