○年前。
当時勤めていた塾で、同僚の先生が突然亡くなるという悲しい出来事がありました。
その先生は穏やかで人柄も良く、指導の面でも大変お世話になった記憶があります。
突然の訃報を知らされた日の夕方。
私は亡くなった先生の代役として、Aさんの個別指導(1:1)を受け持つことになりました。
強いショックと哀しみでかなり動揺していたものの、気持ちを切り替えて授業に向かったのです。
授業を始める前、その生徒に先生が亡くなったことを告げました。
Aさんはやはり驚いた様子でした。
でも次の瞬間、次のように言い放ったのです!
「○○先生、教え方が悪かったから変えてもらおうと思っていたんです。ちょうどよかったかも」
当時、今よりずっと人間のできていない未熟者の私は、その言葉を聞いて怒りがこみ上げてきました。
と同時にAさんがそら恐ろしくもなりました。
Aさんは成績優秀な生徒が集まる有名高校の3年生。
国語も良くできる子でした。
結局その翌春、現役で第一志望の大学にも合格したようです。
成績を上げること、入試で合格させることが私たち講師の仕事です。
それに異議をとなえるつもりはありません。
だけど、このモヤモヤを何と表現したらよいのでしょう?
その時急に、一塾講師としての「虚しさ」と「無力感」を覚えました。
昨年の4月。
私は受験業界の第一線から退いて、「国語専門塾みがく」を立ち上げました。
国語という教科を通して、「人間力」をも伸ばしていける方法はないものか。
教材や指導方法を工夫しながら、それを模索する毎日を送っています。