子どもの頃、毎日のように友人や妹と家の前で遊んでいた。
バドミントンや鬼ごっこ、なわとび…など、いろいろ。
私たちが遊んでいる時、母が家の窓からよく見ていた。
と言っても、特別に意識して何かを観察していた風ではない。
見るともなしに、私たちの様子をただニコニコと眺めていた感じだ。
母が窓から見ているのがわかると、私たちは俄然はり切った。
『まだ見ているかな』とチラチラ横目で気にしながら遊んだ。
…あの時の気持ちって、どう表現したらいいのだろう?
嬉しいような、気恥ずかしいような…不思議な感覚。
兄弟が集まるといつも決まって子どもの頃の話になる。
2人(妹&弟)とも同じことを言っていた。
「窓からお母さんが見ていると、バドミントンとか頑張ったよね(笑)」
…やっぱり私だけではなかったんだな。
ちなみに、私と一緒にいつも遊んでいた親友もうちの母の視線を気にしていた。
例えば、ナイスプレーを1つするごとに窓のほうをチラッと見る…というのが私たちの癖になっていたくらいだ。
子どもにとって、自分を見守ってくれている大人の視線はとても嬉しいのだと思う。
たびたび登場する、姪の菜々子。
最近はできることが急激に多くなってきた。
先週行ったときは、1歳用の知育パズルなるものを真剣にやっていた。
私はしばらく観察する。
☆やら△やらを所定の位置にあてはめるパズル。
たっぷり時間をかけて全部完成した菜々子は、それを右手に持って高らかに上げた。
そして、キッチンにいるママ(私の妹)のほうを振り返る。
ママは食事の準備中。
菜々子のサインに気付かない。
手を上げたまま、「あ~、あ~!」と雄たけびをあげる菜々子。
でもママは気付かない。
諦めた菜々子は、違うパズルに取り組み出した。
またまた時間をかけてパズルを完成させた菜々子。
やっぱり、完成させるとママのほうを見る。
さすがにかわいそうに思って、私が背後から声を掛ける。
「わぁ~!菜々ちゃん、できたの~?!すごいねぇ!!」
菜々子は顔をくしゃくしゃにして笑った。
自分がやったことを見てもらいたい。
「すごいね」と褒めてもらいたい。
この世に生まれて1年ちょっとの子どもでも、そう思うんだなぁ。
私は?
私は生徒をちゃんと見てあげているかな?
忙しい業務に流されて、見ているようで本当には見ていなかったりしていないかな?
気持ちに余裕がなくなるとつい忘れがちになってしまうけど、気付いたときにはすぐ実践しよう。
「いつもあなたを見ているよ。頑張っているね。」
そんなあたたかい視線と言葉が、
きっと子どもの心を育てていくんだと思うから。