仕事で知り合い、いろいろとお世話になっているSさんから先日メールが届きました。
宮城県山元町にある実家が、今回の大震災で津波に流されてしまった…と。
お墓参りのため、仙台市に向かっていたお母さまは難を逃れた、とのことでした。
何はともあれ、命が助かって何よりだと思います。心からほっとしました。
でも、住み慣れた家を失ってしまったSさんのお母さまやSさんの心中を察すると、胸が痛みます。
この山元町も被害が甚大で、今日の時点で死者・行方不明者合わせて900名を超えています。
http://www.town.yamamoto.miyagi.jp/index.html(山元町ホームページ)
現在も多くの方々が避難所暮らしを余儀なくされています。
町の半分近くに海水が浸水し、農地も大きな被害を受けたそうです。
家族や友人。
思い出のたくさん詰まった家。
丹精込めて育てた庭木や花。
毎日働きに出ていた職場。
町の産業の基盤だった、リンゴやいちごの農園。
…それらが一瞬で全て無くなってしまうのです。
悪い夢であってほしい、被災された方は何度も思ったことでしょう。
当事者ではない私でも、今、想像しただけで手の震えが止まりません。
北海道の「伊達市」は、この山元町と姉妹都市です。
2000年に伊達市の有珠山で噴火があった際、経済的・人的援助をこの山元町などから受けた経緯があります。
この震災で今度は伊達市が「支援派遣団」を山元町に派遣して、支援活動をされているとのことです。
支援派遣団が現地から送ってきた報告メールにはこんなことが書かれていました。
3月22日のメール
…地震後、山元町役場の防災無線アンテナが倒壊し、そのことが原因で町内への防災情報(津波情報)を伝達できず、被害を拡大させる要因になってしまったようです。
3月23日のメール
…避難者の方と話していて、これまでの地震、津波の経験から、岩手と宮城北部は津波が来ても、宮城南部には来ないだろうという意識がどこかにあって、今回も地震が来ても津波は来ないだろうと甘く見ていたという話しを良く聞きます。我々の中にも同じような意識があるような気がしてなりません。
全国各地で、このような支援活動の輪が広がっていて頼もしい限りです。
復興までの長い道のり。
このような優しさの連鎖は、この先も途絶えることなく続くでしょう。
山元町をはじめ、被災地の皆さん、悲観しすぎないでくださいね。
微力ながら私もご協力させていただきます。
ところで、上記のメールにもあるような、「自分は大丈夫だろう」という意識。
これが一番危険なんです。
人間は過度な危険を感じた時、「大丈夫、大丈夫…」と自分を落ち着かせるためのスイッチが入るそうです。
そうなると、現状を冷静に判断できなくなって、「危険センサー」の感度が鈍くなります。
それを心理学用語で「正常性バイアス」と言います。
これが災害時に人間の行動を鈍らせ、逃げるのを遅くさせる一因になるそうです。
本当は慌てなくてはならないのに、「きっとすぐに収まるだろう」「ここまでは被害を受けないだろう」という見込み違いの判断を下してしまうのです。
そんな人間の心の動きを知っているのといないのとでは、もしもの時の心構えが違ってきます。
ぜひ頭に叩き込んでおきたいものです。