せつなさと 淋しさの違い 問う君に
口づけをせり これはせつなさ
解釈:「せつなさと淋しさってどう違うの?」と聞く君。言葉で答える代わりに僕は君にキスをした。…ほら、今このキモチが、「せつなさ」だよ。
これは田中章義さんの短歌。
とても好きな歌の1つです。
「せつない」という言葉は、もともと「心を込めて、大切に思う」というような意味でした。
現代では、「悲しさや恋しさで胸が締め付けられるようだ」という意味合いとして使われているので、ニュアンスが少し変わったようです。
「淋しい」は「寂しい」と同義。
「心が満たされなくて、物足りない気持ち」を表わします。
つまり、「せつなさ」は、軽い圧迫感を伴って心が感情でいっぱいになっている状態
一方で「淋しさ」は、心に穴が開いているかのような空虚感。
そんなところでしょうか。
人を愛すると、この「せつなさ」と「淋しさ」は2つセットでやってくると私は思っています。
好きで好きで、相手のことで胸がいっぱいになる気持ちと、どんなに愛を交わしても心がどこか満たされない気持ち。
…物思いに耽って、ため息をつくのもまた恋愛の醍醐味ですよね。
(過去の記事を一部改定して再掲しました)