私は古典が大好きです。
現代とは言葉や文化は大きく異なりますが、その中に確かにある、今と「変わらないもの」を見つけるのが好きなのです。そして見出だしたその気付きには、生きていく上で大きな意味があるとも思っています。
平安時代に書かれた清少納言の随筆「枕草子」にはこんな一節があります。
「むしゃくしゃするもの」
自分から書いた手紙(和歌)でも、人からもらった手紙の返事でもそうなんだけど、送った後で「あー、あそこはこう書くんだった!」と気づいた時。
急いで着物を縫っていて、「よし、うまく縫えた!」と思ったのに、針を抜いたら糸の尻を結んでいなくて、スルッと糸が抜けてしまった時。あとは、裏返しに縫ってしまった時。
あ~!!むしゃくしゃする~💢💢💢
以下は原文です。
枕草子「九十五段」
ねたきもの。人のもとにこれよりやるも、人の返事(かへりごと)も、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針をひきぬきつれば、はやくしりをむすばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。
ねっ?昔も今も考えること、やっていることは、さほど変わっていないでしょ?
メールやLINEをした後に、「しまった!」「あんな言い方しなければよかった!」「説明が足りなかったかなあ?」などと思うことはきっと誰にでもあるはずです。
縫い物の場面もそう。急ぐと良いことが無くて、何かしら失敗してしまうことが多かったりするのですよね。
親子の情、人を愛する想い、旅先で感じる郷愁、後悔の念、自然を愛でる気持ち、月の満ち欠け、巡る季節、動物との共存…。
人間の心情や自然環境、風習には1000年以上の時が流れても「変わらないもの」があります。命あるものは死に、形あるものは無くなる。そんな無常の世で生きる私たちだからこそ、「変わらないもの」の中にある本質や真理を静かに見つめ、慈しむように日々を生きていかなければならない。そう私は考えています。