塾長ブログ

A君の罪、指導者の罪。

先日、予備校講師時代の教え子からメールが届きました。近況報告に混じり、とても残念な報告がありました。
同じく教え子のAくんが○○(軽犯罪)で逮捕されたというものです。

メールによると、某難関大学を卒業したのち、これまた大手食品メーカーに就職したA君。
そこをわずか1年で自主退職したそうです。
理由は「対人関係とのトラブル」。
その後は定職につかずに居酒屋やカラオケ店などのアルバイトを転々とする日々が続きました。

対人関係のトラブル。
要するにA君の場合は「社内いじめ」に遭っていたとのことです。原因は定かではありませんが、新人のA君は上司たちに嫌われていたらしいのです。

…思い起こすと、A君は確かにかなり個性的な生徒でした。
古文担当の私には大変なついてくれていましたが、他の先生からはあまり良く思われていない感じでした。生徒の中からも浮いた存在だったのを覚えています。
その主な理由は
「ストレートに物を言い過ぎること」と
「独自の論理を強引に通そうとすること」
でした。

例えば、
「そんなこといちいち聞かなくてもわかるべや(苦笑)」
「こんなことをやる意味はあるんですか?(苦笑)」
「文系のやつはみんな頭が悪い」
など、数年経った今でも口調と言葉を思い出すほどインパクトのある生徒でしたね。
…そんなAくんが軽犯罪で逮捕されてしまいました。

突然ですが、お子さんのいらっしゃるお母さん方にお聞きします。

何のためにお子さんに勉強をさせていますか?
教育を受けさせる義務があるからですか?
中学受験のためですか?
良い高校や大学に行かせるため?
安定した職業に就くためでしょうか?

きっと答えはどれもノーですよね。
親の手を離れて我が子が社会に出たとき、「困らないように」するためとお考えのお母さんも多いでしょう。
いろいろな分野を学び、将来的に子どもの希望する仕事に就けるために、と思っていらっしゃるお母さんもいますね。

もっと簡潔に言うと、
子どもが自分自身の手で幸せをつかみとるだけの力を身につけるために勉強をさせている。
そうではないでしょうか?

人生には多くの岐路があります。
どちらの道を選ぶか。
大なり小なり、人生というのは選択の連続です。
その際「こっちへ行こう!」と決めるのは知識だったり、経験だったり、論理的な思考だったりします。

また、お子さんはこれからも多くの人々と出会うでしょう。無人島で暮らすわけではないなら、私たちの周りには常に自分以外の「他者」がいます。
身近なところでは家族もそうです。
友人、同僚、近所の人々も。
人との関わりの中でしか私たちは生きられません。

そこで必要なのはコミュニケーションの力です。そして、コミュニケーションの大きな柱は「ことば」です。

論理的な思考も言葉も、どちらも国語力がベースになっていますよね。
だからこそ、小学生から国語を学ぶのだと私は考えています。

A君に私が教えたのは「受験国語」でした。
こう聞かれたらこう答えるんだよ、というテクニック重視の指導です。

それが無駄ではないことも、十分に意味や価値があることも知ってはいます。
ただ、徐々に私はその指導にとてつもなく無力感を感じるようになってきました。

受験のテクニックではなく、本当に国語力をつけてあげられる指導をしたい。
自分の頭でじっくり考えられる論理的思考力をつけるためのトレーニングを!
相手に誤解されることなく、自分の考えや意見を正しく伝える「発信力」を!
相手の言葉だけではなく、思いまでをも聴きとる力を!

そのために何をどうやって教え、理解してもらい、習得してもらうか。
それらをとことん模索し、指導するために私は国語専門塾みがくを開校しました。

A君の件は私も他人事ではありません。
指導者の1人として、私にも責任の一端はあるのです。

この痛みを胸に刻んで、また明日から真摯に生徒たちと向き合っていきたいと思います。


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